『ザハ・ハディッドは語る』(筑摩書房)
ザハ・ハディッド/ハンス・ウルリッヒ・オブリスト
みなさま、明けましておめでとうございます。
全く時節外れのご挨拶で恐縮ですが、今回のこの記事が私の今年の1本目なので、2ヶ月前にし損ねていた挨拶を今頃載せている次第。
月1本の予定が思うように進んでおらず、結果、タイトルの付け方も、昨年中は各月の和名を充てていたのですが、今年は干支と漢数字の組み合わせに取り替えることに致しました。実を言うと、私、本業の方では、日々、人に締切を守れと厳しく厳しく言い続けている立場なので、こういう事態になっているのは、実に実に恥ずかしい仕儀なのです。ここから心を入れ替えて、月の進行に追い付き追い越せの勢いで頑張る所存ですので、引き続き、よろしくお付き合いください。
さて、裏話はこの辺にして、時節にあった話題に移りましょう。
ソチではパラリンピックが始まりました。全く夜更かしができない朝方体質の私は、ソチ五輪はほぼスルーで過ごして来ているのですが、新聞やテレビ報道で伝えられる、競技後の選手達の晴れ晴れとした表情を見るのは気持ちがいいものです。
華やかな冬季オリンピック開催と並行して進んでいるのが、2020年に開催される東京オリンピックに向けた準備ですね。毎回毎回オリンピックの開催直前になると、スタジアムの建設は間に合うのか、ということが話題になりますが、東京で今ちょっとした議論を巻き起こしているのが、国立競技場の建て替え計画。
新国立競技場のイメージはこちらです。
きちんとコンクールをして、審査委員会が決定した案がこれなのですが、反対運動が起きています。総工費がかかりすぎるという点も問題ですが、「巨大すぎて周囲の景観を損ねる」ということで建築家からも反対の声があがり、つい先頃、都知事へ見直しを求める要望書を出したとのこと。大騒ぎになっています。
その、不幸にも騒ぎのもととなってしまった建築デザインを作成したのが、ザハ・ハディッド(ハディドという表記もありますが、ここでは本のタイトルに合わせます)。イラク生まれでロンドンに事務所を構える建築家。2004年に、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を女性として初めて受賞しています。また、一時は「Queen of the Unbuilt」(建てられない建築の女王)とも呼ばれ、あまりにも斬新で建築不可能と思われるデザインを生み出すことで有名だったとか。
そんな逸話を聴いたら、新国立競技場案の是非はさておき、いったいどんな人物なのかしらという興味がムクムク湧いて、手に取ってみたのが『ザハ・ハディッドは語る』。2004年から2007年までのインタビューをまとめたもので、建築できた作品、できなかった作品等々について語っています。
建築用語など私の知識ではついて行けない箇所もありますが、そういう所は読み飛ばし、ともかく、どういう人かを追ってみました。
「美術館内は・・・巨大なチューインガム状の丘をさまざまな方向へ伸ばしたような、いわば有機的な空間体験となります。私自身は、マーサ・グラハム〔アメリカの現代舞踏家、振付家。1894-1991年〕のダンス作品にたとえるのが気に入っているのですが・・・・・・。」
建築、つまり建物とは、静的なものかと思っていたのですが、ダンスのような動的なものや、チューインガムというのび~るものに喩える考え方が面白いです。
「建物を削り込んでいるおかげで、おもしろいスペースもできた。ここでとったのは集成的アプローチで、ひとつのスペースが他のスペースの中に入り込んでいる、つまりマトリョーシカ人形〔ロシアの入れ子型人形〕のようになっているということです。」
これも自分で設計した美術館の話なのですが、マトリョーシカ人形の様になっている空間って、いったいどんな具合なんでしょう。
他にも、ローマの国立21世紀美術館については、
「ローマは織り込まれてできたような空間です。ある方向に織っていけば、他の空間と絶えず交差していくことになるという、おもしろい場所です。」
ん~、織り込むって、言葉で説明されただけではよくわかりませんが、いったいどんな構造が出来上がっているのか、一度見てみたくなりますね~。
オペラハウスの設計を手がけた時の話では、こんな怒りの表明もありました。
「ステージと講堂のデザインが左右非対称だという理由で、反対に合いました。オペラ歌手は、左右非対称なステージで歌ったり演じたりできないと言うのです。ずいぶんな言い草でしょう。すばらしくクリエイティブな才能を持っているはずの人が、左右非対称であれ、他の空間的形状であれ、そんなものを怖れるあまり、パフォーマンスに影響が出ると考えるとは、大変好奇心がわきます。」
「基本的な問題は、自らの立ち位置を脅かすような挑戦がないということです。これは大きな問題です。挑まれることがあれば、自分のものの見方を再調整する必要に迫られるものです。これは一番大切なポイントで、それこそ人々がいろいろ違ったことをやってみたり、旅に出たり、違った世界を目にしたり、実験をする理由なのです。そこで目にするものも、同じように状況として有効なのだと気づかねばなりません。それがわかった時の変位感覚は、非常に開放的なものであり得る。」
「存在は、常に挑戦を受けながらそのあり方を変化させていかなければならないのです!」
ちょっと引用が長くなりましたが、このくだりを読んだときに、毒気に当てられたというか、この方のパワーに呑まれたというか、そういうガツンとくる感じがありました。なんか、スゴイ。
挑み、挑まれることにより新しいものが生み出されるという創造過程に大きな価値を見いだしているんですね。さらにその意志のもとに活動を続けるための、相応の推進力、パワーを持っている。「巨大すぎて周囲の景観を損ねる」とまで言われる圧倒的な新国立競技場のデザインは、この方のキャラクターそのままが表れているようにも見えてきました。
先を読み進むと、自身の「実現されていないプロジェクト」についての質問に答えている箇所があります。
「アイデアは決して消え去ってしまうものではないとわかっていますが、前を向いて進むことは大切だと、私は思います。アイデアは、将来またいつでも使えるのです。そしてそれは、古いアイデアを反芻することではない。とは言え、ともかくプロジェクトが実現しなくて、しかも自分がセンチメンタルな愛着を感じた敷地というのはあるでしょう。しかし、次に向かって前進することは重要です。そうすることによって、新しい発明が起こるのです。ある意味では、失った時間を嘆くよりは、それはもっとおもしろいことなのです。」
あくまでも前向き。私は基本、楽天家の前向き指向ですが、新しいアイデアを生むことに対し、とことん貪欲なザハ・ハディッドの前向きぶりには感服しました。
私のしていることなんて、新国立競技場のスケールには遙かにおよびませんが、締切までに書けなかった原稿についてくよくよするよりも、これから書きたいことにもっと気持ちを向けて頑張ろうっと!
と、無理矢理自分に引き寄せて、この、いまいちまとまりのない話をまとめてしまうことに致しますが、このザハ・ハディッドの展覧会が、今年の10~12月にかけて、東京オペラシティアートギャラリーで開催されるとのこと(http://www.operacity.jp/ag/exh/upcoming_exhibitions/index.php)。常に新しい挑戦を続けるザハ・ハディッド。展覧会も、きっととっても刺激的なものになることと期待しています。
Author:吉原 公美
傾向がないという読書傾向を自認する本の虫。